わかり合えるという確信

前回のブログで自分お話したように
自分の認識を窮屈にして
息苦しさを勝手に感じていたのは
自分だったことに気付いた私。


「どうせわかってもらえない」と
自分で自分を不自由にしていたんだ!!


思い当たる節が
次々と頭に浮かびます(^-^;


だったら
自分で自分を自由にできるはず!


人は誰でも幸せになりたいはず。

そして、わかり合いたいはず。



当時、小学校のPTAは
保護者と教員の組織にも関わらず
目に見えない大きな境界線が
引かれていました。


PTA役員と先生方がお互いに
自分が損をしないように
言い負かされないように
常に腹の底の探り合い。


みんながその海(古い慣習)に
飲みこまれ沖へと流されていても
全く気付かず泳いでいるように。


まるで社会の縮図のようでした。


こういう一人一人の意識から
子供たちが生きる未来の社会が
築かれていくんだ、と一歩引いて
全体の状況がみえました。


子供たちによりよい教育を
与えたいという共通のVision
あるはずなのに。


なぜ互いに牽制しあっているのか?

いやきっと、わかり合えるはずだ!!


その確信がきたときに
校長先生に言いました。

なぜPTAという同じチームなのに
協力しあえないのでしょう?


その問いにハッとした先生は
その後、教員もチームの一員と
意識してくれて協力体制を少しずつ
築いていけました。


以前の自分だったら
校長先生に意見を言うなんて
全く考えられませんでした。

それを言う勇気と意志と確信が
私の中に育っていたのです。

nTechの論理があったから
先生方や役員たちを
納得させられたのだと思います。